パレスティナからの手紙
イースターに、神父から日本の信徒に宛てた手紙(抜粋)


 ここ数日の間に、私は、パレスティナのいくつかの教区を訪れ、そこに住んでいる信徒たちの話を聞く機会を持ちました。それと同時に、パレスティナ社会における権力者といわれている人々とも話をする機会を得ました。
 彼らの言葉は、その教区の人々の言葉を代表するものであり、また、彼らの現在の関心事は、全ての人々の関心事でもあります。そして、現在の彼らの第一の関心事は、何を置いてもやはり、今日のパレスティナにおける厳しい政況に他なりません。道路は閉鎖され、全ての街や村の交通手段が封鎖され、失業者は増加し、イスラエル軍による砲撃は止まず、家々は破壊され、パレスティナ社会は、 日に日に居住困難な地域となり、他国への移住や亡命を図る人々が後を絶ちません。
 しかし、これほどの困難や不安、亡命をしたいという誘惑にも関わらず、私たちはこのパレスティナの地でしっかりと生き残り、私たちの自由が回復され、私たちのうちにも、今日私たちを迫害している人々のうちにも、「神のかたち」が顕わされるのを辛抱強く待ち続けたいという人々の心の奥底にある願いが、はっきりと感じ取れたのです。
 
 また、私たちは、互いに愛をもって助け合わなければならないことを覚えてく ださい。助けを必要としている人々の中でも、より多くの支えを必要としている人を支えるようにしてください。何かを必要としている人がいるのならば、少なく持っている中からも多く持っている中からも、必要なだけを差し出し合って、 お互いを支えるように。飢えている人たちとは、ともに飢えを分かち合い、私たちの持っているパンを分かち合いたいと思います。私たちは教区内の全ての信徒と聖職者を招き、共に食事をしたりしています。食糧に事欠く人たちの食糧を、「Caritas」やその他の慈善団体を通じて援助したりしています。私たちは、今この戦時下を生き抜かなければなりません。私たちは、様々なものの欠如に慣れる必要があると同時に、今、貧困や飢えに苦しんでいる兄弟姉妹のために、持っているものを差し出すことも覚えなければならないのです。
 
 今日もなお続いているイスラエル軍の砲撃に耐え続けている家々を思い、イスラエル軍に向けて、この言葉を贈ります。
 「私たちの教会を破壊したければ好きにしてくれて構いません。けれども、信徒たちの家は破壊しないでください。あなた方がもし、何があろうと、このパレスティナの住民たちを虐待し、『もしも彼らが罪のない子どもたちや家族との平和な生活を取り戻したいのなら、それに代わるものを差し出せ』というのであれば、私たちは、自らの教会を差し出します。私たちの教会を、好きなように破壊しなさい。私たちは、祈るために別の場所を見つけ出し、私たち自身のため、そ して、あなた方のためにも祈り続けます。」
 また、この封鎖状態が解除されてもなお、居住地区から直接イスラエル軍に対 して反撃することが必要だと考えているパレスティナ軍の人々に向けて。
 「平和な家庭を、砲撃の的にしないでください。」
 また、「現在あなた方を苦しめているイスラエル軍による数々の支配には、従いなさい。パレスティナ社会の結びつきを保ち、罪のない人々を危険から守りな さい。もしもイスラエル軍が、一般の家々を砲撃することを断念するかわりに何か他の犠牲を要求するなら、私たちの教会を差し出しても構いません。だが、子孫の家をみすみす破壊させてしまうことは、この土地を見放すことです。」
 
 私たちは正義と平和を求めます。なぜなら、神は正義であり、平和であるからです。また、そのために、私たちは祈り、この四旬節の期間断食をします。私たち自身の罪が清められ、新しい歴史が築き上げられるために、神の協力者となれるために。この地において神は、その存在をお示しになり、私たち人間に対する愛をはっきりとお示しになりました。私たちが神と出会い、そして神を愛することができ、そして、私たち全ての神の子の中に注がれた神の正義と公平さと憐れみを通して、神を愛することができますように。
 
 また、全ての人々が主の復活の栄光を喜んで迎えられるよう、私たちの心をその愛の力で満たし、整えてくださいますよう、祈ります。アーメン。