康夫ちゃんに首ったけ その1
「ねじれた民主主義」と鶴ヶ島の区画整理


 田中康夫長野県知事がしばしば口にする「ねじれた民主主義」。千代田区長選のさる候補の出陣式でも「ねじれた民主主義を日本の中心から変えよう」と声を張り上げたと1月29日読売朝刊に載っていました。
 彼は不要不急の工事の決まっていく課程を「ねじれた民主主義」と表現しています。地元説明会を何回やった、公聴会何十回やった、閲覧期間を設けた、議会を通った…確かに一つひとつは民主主義のルールに則って進行しており、決して民主主義を逸脱してはいません。それなのに結果が地域住民のためになっていない。これを「ねじれた民主主義」とは、なかなかのネーミングですね。
 区画整理もこの範疇に入るものが多いのではないでしょうか。鶴ヶ島市においては、若葉駅西口の区画整理に「ねじれた民主主義」の片鱗を見ました。1年半ほど前のこと、区画整理に意見のある方々に背中を押されて、行政の関係者と話し合いをしました。すでに仮換地案が示されていて、最後にきちんと話し合いたいとの熱意にほだされて、仲介の労をとりました。
 行政サイドは、説明会はやった、「区画整理だより」でその結果をお知らせしている、縦覧もした、区画整理審議会も開いている、すべて法に則ってやってきた、どこが悪いかと言いました。さらには、こんな会を仲介するとは、高柳はモノを知らないヤツと言わんばかりの応対でした。
 住民サイドは、仮換地案が出てきて、始めて自分のこととして考えられた。過去にどんな説明があったかではなく、今、自分たちが疑問に思っていることに答えてほしいと訴えました。
 早く前に進みたい行政は予想した通り、全く取り合ってはくれませんでした。  ここで、「これは“ねじれた民主主義だ”なんとかできないか」と、住民サイドに立てるセンスを持てれば、行政が変革されるんですね。
 鶴ヶ島市では、せっかく「一人一役市民総参加」のまちつくりをしようとの機運を盛り上げてきたのですから、康夫ちゃんに見習って、ここでもう一ひねりすれば、ねじれは解けるはずなんですが。そのパワーは、やはり情報を握っている行政と生活者としての住民がパートナーシップの精神で学習し合い、議論し合っていく手法をマスターしていくところから出てくるのではないでしょうか。その意味でも、康夫ちゃんのような首長の出現を待望します。そして、フレーフレー住民!