康夫ちゃんに首ったけ その3
『脱・記者クラブ』宣言


 田中康夫長野県知事は5月15日『脱・記者クラブ』宣言をしました。これは 随分波紋を呼びましたね。石原東京都知事は、これに続こうとしたんですが、 記者室有料化を取り下げたりしてますね。
 週刊金曜日9月7日号は「ここがへんだよ記者クラブ」なんて特集も組んでま す。
 鶴ヶ島市も小さな市ですけれど、市役所の中に記者室なんてあるんですよ。 さすがに常駐ではありませんけどね。地域新聞の記者が主に利用してるようで すね。記者会見も定期的に開かれていて、事業計画などの発表をしています。 時には議会への発表前に記者発表して、議会軽視だなんてひと騒ぎしたことも あるんですよ。
 議会軽視と言えば、記者室はあっても議員控え室がないということもありま した。会派が増えて、議員控え室が足りなくなって、一人だった私がはみだし てしまったことがあるんです。よその市では、そういう場合直ちに仕切り等で 一室つくるそうですが、鶴ヶ島では、そんな動きはありませんでした。財政逼 迫の折りから、私は敢えて控え室を要求せず、図書室の一角におりました。議 員の処遇として果たしてそれで良かったのか、今でも疑問ではあります。
 ま、記者がえらそうにしているのは全国共通らしく、『脱・記者クラブ』宣 言の出てくる土壌はあったということですね。“横並びの発表記事”を書いて いる記者クラブの面々という批判もあるわけですけど、私の交通事故の折りな ど、三流週刊誌並の関心を寄せて、一日でも早く記事を書こうとする動きはあ りました。遅れをとった記者から「なぜ、あっちの記者だけ優遇するんだ」な んてねじこまれたりもしました。別に私の責任じゃないのにね。警察も新聞に いろいろ書かれると捜査しにくいってご機嫌悪いし、とうとう親しい方にも事 件の成り行きについては話すなとの弁護士指令が出てしまって、心配くださっ ている方にも話せず、つらい思いをしました。
 それで、一件落着したときには、各社公平に情報が届くように、記者会宛、 ファックスによる記者発表という形をとることにしました。鶴ヶ島の記者室に 送信したわけではなくて、川越市役所内の「川越新聞記者会」宛です。この名 称も、改めて調べてわかったんですが、日頃は「記者クラブ」と呼んでます。
 今回の経験やら、康夫ちゃんの宣言やら考えると、記者クラブって、昔から あんまり変わってないですね。私が音楽雑誌「ポップス」の編集をしていたと き、記者たちは評論家をとても嫌がってましたね。記者の質問が終わってから にしてくれとか、専門的な質問をするなとか、オレたちが主催者だゾとか、時 折もめてました。
 今でも忘れないのは、ビートルズの来日です。こちらは音楽雑誌でしょ、積 極的にビートルズを紹介してきた立場ですから、まさか記者会見から閉め出さ れるなんて思いもしなかったのに、記者クラブのメンバーではないし、専門誌 ですから雑誌協会にも入ってないし、記者会見の招待状をくれないんですよ。 誰のお陰で有名になったと思ってるんだと、公演主催者の読売新聞と大喧嘩し ました。
 結局、当時東芝レコードの担当者だった高島弘之さん(高島忠夫のお兄さん) に泣きついて、音楽雑誌にも記者会見の招待状を出してもらいました。
 あの時の苦労を考えれば、康夫ちゃんが記者クラブの「表現者すべてが利用 可能」なメディアセンター(後に表現道場)への衣替えをよくぞ宣言してくれ たと感無量です。
  あれから35年たってるんですねぇ。私が経験したのは、音楽の分野だけです けど、政治経済となると、記者の既得権益の比重はグンと高くなるんでしょう ねぇ。都庁の「有楽クラブ」と同じ階の部屋で記者会見した《「新潟県刈羽村 民」と「首都圏で暮らし働く人々」との対話集会》実行委員会は、ほとんど無 視されたって怒ってましたけど、この際、真に主体的な記者クラブに変身して、 大本営発表ばかり書かず、市民運動の動きもちゃんと報道するようになればい いのにね。