「自己責任」について
2004年5月10日 丸尾俊介

 今後いくらか是正されていく望みがないとは言えないが、最近のアメリカを 動かす大きな魔物的力を知るにつけ、そのアメリカに敵対意識を深めざるをえ ない人々がイラクで日増しに多くなっているようだ。そういう思いを実体験の なかで募らせていると思われる人々が、3人の日本人を人質にとり「3日以内 に自衛隊をイラクから撤退させなければ3人の命を奪う」といった趣旨の放送 を行った。幸い、さまざまの曲折があったものの、3人は無事帰ることができ、 一応私たちも胸をなで下ろすことができた。さてそういう過程の中で「自己責 任」という言葉が日本人のなかで急速に広まってきた。といってもその用い方 は、イラクの困った人を援けるボランティアまた現場報道のためとは言っても、 現政府が渡航自粛を再三呼び掛けているなかであえて個人としてイラクに行っ た結果生じた事件であるからその費用負担と責任は本人が当然負うべきだとい った考えから始まったように思う。当然こんなことを言う人は政府側の今まで の措置を是とし良しとする人たちに多い。その言葉の背景には、3人は日本国 に迷惑なことをしてくれた、復興人道支援には危険が伴うので今は自衛隊が行 くべき時、そういう国の政策を軽視して個人で支援を続けるなど無責任で向こ うみずな行為、たとえ人命に危険が及んだとしても決して国家の責任ではない、 といった思いが隠されている。ここではそんなことを言わせてしまう雰囲気が 充満している今の日本のかかえる問題に注目しつつ、考えを進めてみたいと思 う。
 恐らくこの言葉を声高に叫ぶ人々の多くは、日本の戦争責任と、それを果た さず放置してきた戦後責任、それらの背後にあった明治以降の富国強兵策の誤 り、以上を支えた体制順応傾向の強い日本人の姿を知ろうともせず、ましてや それに責任をとり改めようともしなかった、どちらかといえば公的立場に近い 人々が多いのではないだろうか。従ってそれは自らの行為を正当化してきた状 態を覆いかくし、また現在行わねばならぬ責任を適当に誤魔化すための役割を 果たしてしまう事にもなりかねない。
 もし国家の存在が必要だとすれば、個人が安全に意義深く日々を生きるのに 仕えることであるにも関わらず、いつしか国家とはたとえ個人の利益を犠牲に してでも守るべき崇高な実在であるとの考えが、特に国家から有形無形の便益 を受けている人々を中心に広まってきている。
 過去を振り返ってみると、あの沖縄のとき地方住民を殺戮したのは米軍以上 に日本の軍隊であったという事実もある。太平洋戦争終結時、満州にいた日本 人高官や上級軍人は早々と日本へ帰ってしまったが、敗戦を知らされもしなか った兵卒や元開拓団員、一般市民はとり残され、帰国する手段も望みも断たれ て悲惨な経験をせざるをえなかった。「軍隊が国民を守る」ことなど過去にも 殆ど無きに等しく、今からもはかない望みでしかないだろう。正直に、自衛隊 は国家を守るのが務めで民を守るのは警察の仕事ではないですかと、公言する 人もいる。にもかかわらず、いざというとき日本を守るのはアメリカだからそ の国との同盟は必須だなどと言い、またそう信じている人も多い。そこで不用 意に語られる「日本」とは、国家体制なのか一人ひとりの人間の命や生活なの か、一応区別して考える必要があるだろう。そういえば、最近「国際社会」と いう言葉も頻繁に使われているが、それがアメリカ中心の価値観によって結ば れている国家群をいうのか、あるいは逆にそれらの国家群によって抑圧・従属 させられている国々をさすのか、その区別もしないで抽象的に獏としたものを イメージするだけでは、大変危険な用語であることに気をつけたい。
 さて、日本だけでなく諸外国にも言葉で言い表わせないほどの災禍と犠牲を もたらしたあの太平洋戦争の敗戦(1945)は、日本人にとって「国家と個人」 との区別と関係を新たに考え直し、望ましい国民像や制度を生み出す絶好の機 会であったにもかかわらず、誠実にそれに取り組むことに消極的で、むしろ過 去の日本に立ち帰ろうとする勢力に姑息なまでにつき従ってきてしまったよう に思われる。そして今や再び国家への忠誠こそ最もすぐれた日本人の美徳だと の声が急激に大きくなってしまった。しかもそれが、不思議にも多くの市民に 受け入れられるような状況でさえある。そのせいか、個人の存在の重さや活動 の自主性・多様性を強調する動きの拡大は困った減少だと考える人も多いらし い。従って、人間的な自由と愛の思いに基づく、例えばNGOのような働きを する人は、国家の方針に服従しない勝手な個人主義者だと思われることが多い。
 そこに3人の日本人市民が、イラクの対アメリカ従属に反対する勢力と思わ れる人々に人質としてとらえられるという不幸な事件が起こった。国家に忠誠 だと自負する人々がこれを好機ととらえ、国策に反する行為が国家にとってい かに迷惑であり、崇高な国家行為として行っている自衛隊派遣にどれほど悪影 響を及ぼしたかを宣伝している。同時に、ボランティアとして止むに止まれず 自主的に行なう行動の無謀さ、不当性を強調するのに、彼らには自己責任があ るのにそれを無視し、結果的には国家の活動の邪魔をし公的資金さえ浪費させ たと宣伝するようになり、あげくの果て救出費用の一部は3人に請求すべきだ と言ってはばからない政治家もいる。それらのニュースが、未成熟で名ばかり の「民主主義」しか知らぬ人々の心を妙にひきつけ、にわかに「誰にでも自己 責任がある」という言葉が流行し、国家が自国民を保護する義務を持つことさ え忘れかけているようだ。
 当然この言葉によって、国家に迷惑をかけるな、せっかく派遣した国家的事 業である自衛隊の活動を邪魔するな、その内容・経過・手続きがどうであれ公 こそが唯一の正統だという思いこみがますます強くなるだろう。
 その一例でもあろう。反戦活動を強制的暴力で規制する機動隊員に少しでも 手を触れて反抗すると公務執行妨害として処罰されることがあるが、機動隊員 が、固有の使命を感じて止むに止まれず行っているデモに暴行をしても人間の 尊厳を侵した罪に問われることなどありはしない。こんな不可思議な現象も罷 りとおっている。
 ついでに言えば、自衛隊・機動隊・警察の門や玄関に衛兵が立っているのを みて変人の私などはいささか違和感を覚える。衛兵は外から侵入する敵を見付 けて撃退できるよう外に向いて立っている。つまり、市民は公的機関に害を加 える恐れがあるという前提のもとに、公的機関を守る姿勢である。私は、衛兵 はむしろ逆を向くべきだと思う。こうして自衛隊や機動隊や警察のもつ暴力の 行きすぎを是正し、彼らが善良な市民社会を軽視し、攻撃し、支配する事のな いよう監視することこそ大切なのであろう。
 話は変わるが、憲法に「愛国心が国民にとって大切だ」と明記して教育しな ければ国を愛する心など養えないと強調する人も多いが、そもそも憲法は国民 を規制するものではなく、むしろ国家の義務を定めることに大きな意味がある との学説もある由。しっかり心に留めておきたい。
 日常の社会の仕組みをみても、法律を作り何らかの規制を設けることは官吏 の通達や国会多数派の議決で決定できるらしい。しかしいったん出来上がった ものは、市民生活に不合理な点を正そうとしても、殆ど道は閉ざされていて泣 き寝入りということが多い。私たちの税金納入は一日遅れても延滞料がつくが 公けの仕事が大幅に遅れても一円の補償もない。戦前、「滅私奉公」の大前提 があった。いまその考えを正さねばなるまい。
 もしいま、個人としての自己責任を追及するのなら、同時に公人の怠慢責任、 国家としての人間的・外交的責任を果たさず、強者の言いなりにしかなってい ないとしか思えない政府の無責任をこそ、たださねばならないだろう。

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