説教 「断腸の思い」
2006年2月12日 丸尾俊介

ルカによる福音書 7:11〜17
11 。それからまもなくイエスは、ナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 12 イエスが、町の門に近づかれると、ちょうどある母親のひとり息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親は、やもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくとも良い」と言われた。 14 そして近づいて、棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたにいう。起きなさい」と言われた。 15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。 16 人々はみな恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者がわれわれの間に現れた」と言い、また「神はその民を心にかけてくださった」と言った。 17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。  
 
 ここには誰が読んでもすぐ分かるような、明らかにイエスの行なった奇跡が語られている。しかし、イエスは自らを超能力者として崇めよとか、弟子や教会がそのように宣伝しようと考えたとか、そういう動きは微塵も感じられない。また無知な人の多い昔の話だから現代には通用しないと考えて、聖書から抹消しようということも今日までなかった。なぜだろう。そこには、たとえ表現は昔くさいけど、人間にとってとても大切な事実が語られているからであろう。そこで一つ一つの語句にとらわれず、この物語の意味するところを少し考えてみたい。
前提として考えておきたいことの一つは、この男の子は、あるやもめのたった一人の息子であったという事実であろう。当時、女は一人前の人間として認められず、扱われない世の中であったらしい。しかし、夫がいるならその夫に仕えるものとして、社会的にも宗教的にも生きていくことは認められていた。が、主人をなくしてやもめになったら、とても生きにくい世の中であった。ただ男の子が一人でもあるなら、その場合は一人前に扱われていた。しかし、そういうひとり息子が死んで葬式を出すところにイエスの一行がたまたま通りかかったというのだ。母親は儀礼としての葬式をしながらも心は乱れ、一人ぼっちになったというだけでも大変なのに、これから先社会から援助されることもなく、交わりさえも途絶えていくであろうことを思い、深い悲しみ・寂しさと同時に、何ともできない不安の中にあったと想像される。そういう世の中は本来あってはならないと思うが、今までの人間の歴史、時々の政治体制や社会の人々の意識としては、たいへん根強い実態を持ちやすかったことは認めざるを得ない。大変に不条理なこの世の姿でもある。
 しかしここでは「町の人が大勢そばに付き添っていた」 (12)とも書かれている。社会の大勢とは別に、このような人間同士の思いやりというものもなお根強いものがあるだろう。それもまた表面の現象や法律だけでは見えない人間社会の実態であることを忘れてはならない。
 次にここで、この母親とひとり息子に対して、イエスのされたこと、言われたことの意味、またそうさせた原因や動機に目を向けてみたい。イエスはここで、気の毒だなと思いつつも、二人と特別にかかわることをせず行きすぎてしまってもよかっただろう。ちょうどルカ10章にある「良きサマリア人のたとえ」にでてくる祭司やレビ人のように、傷を負って放置されている人がいたとしても、知らないふりをしてかかわることなく通り過ぎることもできた。私たちも含めて人間の多くはそういう態度をとることが多いだろう。しかし、イエスは違う。イエスは葬列に近づき、母親を憐れに思い、もう泣かなくてもよいと言われた(13)。ここで用いられている「憐れに思う」という言葉は、かわいそうに思うとか、あたかも義務であるかのように慈善的行為を行わねばといった思いを表す語ではない。母親を上からまた外から眺めているような姿勢ではなく、むしろ「自分自身の中心である腹が痛む」という意味の特別の言葉で、このひとり息子が死んでやもめひとりが残された事実を自分の苦しみ悲しみとして、深く受け止める姿勢が表わされている。日本語では、「断腸の思いで」などという用例があるが、まさにこれこそ、適訳のように思う。(事実、最近訳された岩波訳は、そのように訳している)
 そういえば、創世記6:5〜6「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い図っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」も、神が人の責任を追求したというより、自らの行為への腹痛む思いを読み取るべき言葉であろう。神はこの世を超越して冷たく見る神ではなく、人々の存在の重さを実感し、人々とともに、泣き、喜び、苦しみ、悩む方であり、そういう神なればこそ、人々は、信じることができたという事情を知ることができる。また、ルカ15:20は、放蕩息子が放蕩の限りを尽くして帰ってきたとき、父親は「彼を見て、断腸の思いにかられ、走っていって彼の首をかき抱き」と岩波訳が訳しているのも注目しておきたいと思う。この父こそ、神の姿そのものの比喩だったのだろう。時代の違いを超えて、旧約の民が神の意志を受け止めていたこと、イエスが人々に示した深い愛、それを受け止め、そこから新しい人間の生き方を学び、それをもとに集まり、証言し、礼拝し、活動してきた教会の志とが、このように深く関連しあい、共鳴し合っているという事実を忘れてはなるまい。
 さてイエスが、棺に手をかけたのは、この淋しく不安な母親とひとり息子への深い共感がさせた自然な行為であったにちがいない。イエスには、人々の冷たさやこの世の不備への嘆きと怒りも当然あっただろうが、同時にそういう人々の生活の中にまた心の中に、そして社会の中にさえ芽生え育ちつつあるもう一つの働きを知り、それに、信頼しておられた。だからこそ若者に、「起きなさい」(14)と言われる。起きると言うのは自力で起き上がることでも偶然に生きかえることでもない。この語は、イエス亡き後、キリスト教会を成立させた根本的働きを表す「復活」に通ずる言葉であり、まさに新生と復活の信仰そのものの表現であった。復活とは、もとあった古い体や心が前と同じように活動を開始することではない。人間の中にあるものが、人間の創造や力によるものでなく、神ご自身の働きの中にあるという事実に「目覚める」ことである。神の働きのもとで人間の姿を受け入れると、人間の傲慢さは消えるほかないし、人間の弱さ・はかなささえ、神の確かな働きのもとに喜びや自信を伴う自覚的姿となって現れてくることが多い。若者はそういうを神の支配のもとにあるのだとイエスは改めて宣言し、そういう命を預かっている母親としての満足と落ち着きを取り戻そうとされたのであろう。
 そこには以前と同じような母子がいたとしても、もはやかつての母子関係とは異なったものが生まれてくる。その意味で「イエスは息子をその母親にお返しになった」 (15)との一句が重要な意味を担うことになる。親は子を選べず、子もまた自分に好都合な親を選ぶわけにはいかぬ。それが、創造者では絶対にありえない被造物の姿であろう。しかも、だからといって親子関係は単なる偶然や運命によって決まるものでもない。あくまで親と子は、与えられた賜物であり、創造者の意志と働きのもとに成立する関係である。その事実を受け容れたとき、親と子は互いを決して束縛することなく、かえって生かし強める。こうしてこの母と子にも今までと違った新しい出発が可能になった。せっかく生かしてやったのだから俺の弟子になれ、俺の力を広く宣伝せよなどといって、イエスは、母と息子を独自に支配しようとはしない。この母子が、その後、どのように暮らしていったか、聖書は全くそのようなことに興味を持っていない。むしろこういう新しい親子関係がイエスの周囲に日々起こっていたし、今も起こっていると、聖書は証言しているのであろう。こういう事実と話は、人工的にまたある種の宣伝や力で広まるものではない。「神はその民をみ心にかけて下さった」 (16)という信仰告白は自然に広まっていく。人間が何らかの言葉を持って応答できる存在としてある限り、このような賛美や証言はいつしか広まっていくだろう。現在、キリスト者として私たちが生きているのも、教会が存在し働きを続けているのも、そのことの一つの表れだと言ってよいだろう。

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