辺野古のオジー、オバーが泣いている
沖縄・辺野古への新基地建設を阻止するために
真実を知ろう、抗議をしよう

カンパのお願い
【カンパ先】 ヘリ基地反対協議会
      郵便振替 01700―7―66142
      加入者名:ヘリ基地反対協議会
振込用紙の通信欄に、「漁船チャーター カンパ」と記入し激励のメッセージをそえてください。

■呼びかけ                                    2005.4.20
日本キリスト教協議会(NCC)平和・核問題委員会/女性委員会
東京都新宿区西早稲田2-3-18-24 03-3203-0372
■FAXで抗議を
〇那覇防衛施設局(那覇防衛施設局長 西正典)FAX 098−863−1750
〇防衛施設庁(防衛施設庁長官 山中昭栄)FAX 03―5362−4857
  〇防衛庁(防衛庁長官 大野功統)FAX 03−5229−2134
   一言メッセージでも結構です。FAXを送ってください。特に、防衛庁へ。
■辺野古での阻止行動に参加を
可能な方は、辺野古へ行ってください。ボーリング作業を止めるためには人数 が必要です。
辺野古からのメッセージ

以下は、4月16日に東京・上野で行われた「沖縄に新しい米軍基地はいらない  デモ 集会&コンサート」での、平良夏芽さん(日本基督教団うふざと教会牧 師)の「辺野古からの訴え」です。
(平良夏芽さんのホームページをご覧いただくと、最新情報が得られます。http://church.jp/ufuzato/)

「沖縄の辺野古に基地が新しく作られると決まってから、辺野古のオジーと オバーが座り込を始めました。2639日の座り込みの後に、あの4月19日、防衛 施設局の強行を迎えたわけです。あの4月19日から今日で363日目になります。 363日目。本当に長い闘いです。皆疲れ切っています。

 国が本気になって、基地建設のために63箇所のボーリング調査を行う、しか も2004年の12月末日までにこの63箇所のボーリング調査を完了すると豪語して おりましたが、今日、今現在一箇所の穴も掘らせておりません。

 私たちは毎日辺野古の陸上で、そして海上でこの作業強行を阻止するために 頑張っておりますけれども、私たちだけだったらこの阻止はなし得ていないと 思っています。辺野古のオジー、オバーを中心とする多くの人たちの熱い思い に、祈り、決意、そして全国から集まってくる人たちの具体的な参加、カンパ、 そして今日集まってくださった一人一人、今日ここに集まれなかったけれど思 いを辺野古に繋げてくださっている一人一人、その思いと決意がボーリングの 阻止を、そして現場で闘っている一人一人を守る力になっていっているんだと 思います。

 私は、今日集まってくださった皆さんにお礼は申し上げません。私たちの仕 事を皆さんが手伝ってくださっていると思わないからです。皆さんが、ここに 集まった方、集まれなかった方一人一人が、この出来事の主人公として主体者 として、本気になってきている、その一つ一つが繋がって今の奇跡を生み出し ているんだと思います。

 マスコミで辺野古建設案の見直しということが報道されました。私たちは涙 を流して喜びました。本当に抱き合って喜びました。しかし、この政府の辺野 古見直し、この報道は、リークは、今振り返ってみると戦略的な非常に巧妙に 組まれたリークだったんじゃないだろうかと思っています。全国の、今まで辺 野古に関心を持ってくださっていた多くの人たちが、辺野古は終わったと、そ ういう誤解が全国に広がっています。辺野古の闘いは勝ったんだと。この計画 はもう無くなったんだと。こういう状態を生み出すために、辺野古計画再検討 という情報がわざと流されたんではないだろうか、そう思うぐらいに関心が薄 らいでいます。具体的に辺野古に駆けつける人たちの人数の低下、カンパの集 まり方が非常に鈍くなってしまっている。色んな状況からそうではないかなと いうふうに思っています。

 一番最近では、ちょうど1ヶ月前の3月16日に、施設局は作業を強行しようと しました。朝6時過ぎに私たちが辺野古に集まったら、辺野古にすでにスパッ ト台船といわれる台船が到着していました。本当に私たちは驚いて、出せる限 りの船を出して、この台船が地面に穴を掘るその定位置につくことを阻止しよ うともがき続けました。このときに私たちを苦しめたのは、施設局でも業者で もないんです。海上保安庁です。今までずっと少し離れた所で中立的な立場を 維持していた海上保安庁が、私たちに向かって牙をむきました。

 3月16日、私たちの仲間の船が5隻拿捕されました、海上保安庁に。ロープを 掛けられて、引きずり回されたあげく、エンジンが外れてエンジンが海底に沈 んだ船もあります。私が乗っていた船も、海上保安庁の船がいきなり私たちの 船に乗り上げてきました。横に付けるんじゃないんです。私たちのボートの上 に海上保安庁の船が乗り上げてきて、そして彼らがどーと乗り込んでくる。私 たちが羽交い絞めにあったり、エンジンの鍵を抜かれたり、そういう目にあい ました。2隻の船が自分で走ることができなくなった。私の船もハンドルのワイ アーが切れて自分で操縦することができなくなりました。そういう状況があち こちで起きた。

 このままでは止められない。それで、決意した何名かの者が海に飛び込みま した。台船に向かって飛び込んで泳ぎました。泳いで泳いで泳いで、台船にし がみ付きました。台船の上にいた業者たちは、そこは危ないから横によれ、し がみ付くなら後ろにしがみ付け、業者たちは毎日顔を会わせる業者ですから、 立場としては敵対していますが、顔と顔を会わせ続けた結果情が移ってるんで す。そこに人と人との関係があるんです。ですから、そこは危ない、どうして もしがみ付くんだったら横によれ、後ろにしがみ付け、業者は叫んでいきます。

 そこで私たちは何をしたか、台船の上から叫び続ける業者に向かって、まず お礼を言いました。心配してくれてありがとう。そしてその声を無視すること も謝罪しました。ごめん、でも前のほうが危ないというなら自分たちは前に移 動すると。でないとこの船を止めれないんだと。何名もが台船にしがみ付いた まま、進行方向に自分の身を引きずって台船を引っ張っているタグボートのロ ープにしがみ付きました。船を止めなさいと。船を止めないんだったらこのロ ープにしがみ付いて行ってタグボートのスクリューの所まで私たちは行きます。 そしてロープを掴みながらタグボートに近づいて行った時にやっと船は止まっ たんです。

 辺野古の闘いは、本当に身を挺した闘いです。命がけの闘いです。でも、皆 さんがいてくださることを信じれるからそこまでできるんです。私たちは、こ の1周年の集会、東京で行われる集会沖縄で行われる集会、この集会を毎日海 で闘っている私たちは恐れていました。なぜか、この1周年の集会を持って全 国の人たちの関心が辺野古から離れてしまうのではないか、その瞬間私たちは 必ず襲われるだろうと。そう思って私たちは警戒をしていました。警戒してい た結果、色んな情報が重なって来週辺野古が襲われるということがほぼ確実に なって、そして私たちは各マスコミにどう考えても私たちは来週襲われる、き ちっと取材して報道してくれというふうに各マスコミにお願いした結果、琉球 新報が21日の強行を調べ抜いて報道してくれたわけです。

 昨日、1昨日は、非常に穏やかな日でした。私たちは、ものすごい緊張でそこ に待機していましたが、施設局の職員たちは何にもできない状態でした。何故 21日の強行がわかったのか、どっから情報を得ることができたのか、ひたすら にそのことを私たちに確認しようと彼らはし続けていた。そのことからすると、 この21日の強行の計画というのはほぼ正しかったんだろうと思っています。そ うでなければあんなに真剣に情報の出所を探らないだろうと思います。21日強 行の情報がばれたから、彼らはその計画を他の日にずらすか、それとも国のプ ライドにかけて21日の強行をするのか、これはわかりません。

 しばしば私たちは、この後辺野古はどうなるんですかと多くの方々に質問さ れます。一番それを聞きたいのは私たちです。何にもわからない、色んな予想 をすることができる。でも、どんな評論家がどんな予想を立てたとしても、ど んな情報が流れたとしても、辺野古現地は、今日止める明日止める、その連続 でしかないんです。毎日が厳戒態勢で、本気で止めぬく、その日一日が終われ たら今日も何とか止めることができたお疲れさん、明日も頑張ろうと、その連 続でしかない。

 12月の中旬以降、彼らが強行して多くのケガ人が出て、救急車で運ばれる仲 間までいて、しかしその状態がおだやかになったのも全国の皆さんが関心を持 ってくださり、そして多くのウミンチュたちが辺野古に駆けつけてくださった、 そのことによってケガ人が出るということはストップしました。しかし今でも 強行はされ続けています。夜の間はジュゴンに配慮して作業しないと言ってい た彼らが、夜の間に台船を持ってきて朝6時過ぎには作業を開始しようとしてい た。本当に奇跡的なタイミングで、数分のタイミングで私たちはこれを全部止 めてきているわけです。偶然です、本当に。

 来週1週間、せめて来週1週間は本当に沖縄は厳戒態勢に入ります。まだはっ きりと体制は決まっていませんが、おそらく24時間体制に入ると思います。夜 のうちに彼らが動いても対応できるように、そういう厳戒態勢に入ると思いま す。

 沖縄は、ずいぶん暖かくなってきました。私の顔色を見てくださったらわか るように、真っ黒に日焼けするような日差しになってきましたが、3月4月とい うと実を言うと一番水温が低いときなんです。気温が上がり続けていても水温 はずっと下がり続けていく、ちょうどその境目なんです。陸上では本当に暖か いねという日差しでも、海の上ではまだまだ寒いんです。

 具体的に私がどんな格好をしているかと申し上げますと、ウェットスーツを 着て、その上に作業用のジャンバーを着て、その上にカッパを着て、毛糸の帽 子をかぶって震えている状態です。もちろん昼間の数時間、昼間の数時間だけ 日差しが強くなると暖かいねと言って毛糸の帽子を脱いだり、カッパを脱いだ りすることができる日差しもありますが、朝と夕方は風が強くて本当に寒い日 が続いています。海に飛び込んでぬれたままその状態で1日ヤグラの上で、ある いは船の上で過ごすということが続いているわけです。

 来週は不慣れな方たちも含めて、覚悟のある方たちにヤグラに上っていただ く必要があるんじゃないかと思っています。海上のヤグラの上に10人15人、20 人近くの人が上ってくださったら施設局が強行してきても作業することはでき ない。でも、もし20人の人がヤグラに上るとしたら、それだけでも80人必要な んです。人数が拮抗していたら向こうの作業員と人数が拮抗していたら暴力沙 汰が起きます。私たちはいつも襲われてきました。ぼこぼこに殴られてきまし た。私も鉄パイプで殴られました。海に突き落とされました。具体的にそうい うことをしてきます。しかし、人数が、こちらの人数が多ければ向こうはあき らめるんです。具体的な人数が必要なんです。

 ですから皆さんの仲間で、時間と気力、体力のある人は来週沖縄の辺野古に 結集してください。主体的に結集してください。でも集まれない人たちは、防 衛庁、防衛施設庁に辺野古への強行をするなということをファックスでもメー ルでも手紙でも、行って直接声を届けるなり、必ず声を届けていただきたいん です。多くの人たちが辺野古のことについて感心を持ち続けている、自分たち は忘れない、絶対に沖縄と繋がってこのことを阻止し続けるんだということを 声を届け続けたら、その声によって私たちは守られます。皆さんの声が止まっ た時に私たちはつぶされていくでしょう。

 辺野古に集まるだけが闘いではない、具体的に辺野古に集まってほしいし多 くのカンパも必要です。しかしそれだけでは止められない。多くの人たちが関 心を持ってそれぞれ情報収集して、東京で声を上げ続ける。防衛庁に声を上げ 続ける。そのこと全部がリンクしてやっと止められるんだということを思って ください。

 皆が主人公です。辺野古の私たちが止めているんじゃなくて、皆さん一人一 人が止めているんだという自覚と自信を持って、この後もきっちりと基地建設 を止めていきましょう。そして、明日か明後日だとうれしいんですが、いつに なるかわからない、白紙撤回のお祝いを、日本全国で本当に1日も早くお祝いし ようではありませんか。ありがとうございました。

○ 沖縄一坪反戦地主会 関東ブロック HPより