中平健吉著「日本国憲法の現状と課題」 の出版記念会
へ行って来ました。


1999年7月9日(金)午後6時〜8時
文京シビックセンター26階 スカイホール


 この「日本国憲法の現状と課題」は、キリスト者政治連盟の発行で、 私はその会員として参加をしました。
 この本は、中平先生が弁護士としての立場から、そしてキリスト者としての 立場から、現在の日本の憲法について書かれたとても貴重な本です。そうした本 がこうして出版されたということは、とてもすばらしいことだと思います。
 
 出版記念会に先立つ礼拝で、私はオルガンを担当しました。土井たか子社民 党委員長もかけつけてくださり、共に「早春賦」も歌いました。この歌は、中 平先生の妻多恵子さんが、戦時中先輩の指導で歌い元気づけられた歌なのだそ うです。
すいせんのことば 糸井玲子
 中平先生が小さな本を出された。一節一節の文のうしろには、深い信仰生活と 壮大な裁判活動が秘められている。先生が書かれた膨大な判決文や準備書面は、 最高裁判所・国会図書館に保存されている。が、ご自分の著書は「世に遣わされ て」以来だろうか。貴重な文である。
 一九七〇年七月十七日、折しも教育の右傾化・軍備増強の暗い世に、一条の光 となって「教科書裁判・杉本判決」が輝き出た。
 「教育の責務は、父母を中心とした国民にあり、国家に与えられる権能は、国 民の要請に応える条件整備にある。従って、国家が教育の内容に介入することは、 基本的に許されない。」
 杉本裁判長と共に右陪席判事として、中平先生が祈りつつ書かれた名判決は、 思想・信条・表現・教育の自由・子どもの学習権を格調高く謳い、魂の自由を求 める私たちの行く手を照らし続けている。「教育権は私にある」と目覚めた母親 たちを中心に、市民運動が全国へ大きく拡がって行った。教科書裁判運動は、杉 本判決を信条の支柱として、第三次訴訟まで三二年間を闘い続け、九七年八月、 最終最高裁判決で実質勝訴に輝いた。
 七二年、先生は「信仰に、より忠実に生きる」ために、高裁判事を降り切って 弁護士となる。その時、取り組まれた一件が種谷牧師裁判である。学園紛争で警 官に追われた二人の高校生が尼ケ崎教会に助けを求めて逃げ込み、引き渡しを迫 る警察に対し、種谷牧師が「責任をもって二人を教育する」と告げて引き渡しを 拒否したため起訴されたのだ。憲法の「信教の自由」の中に「牧師権」という新 しい温かな権利を導き出し、勝訴した。
 自衛官合祀拒否訴訟も七二年に始まる。「静謐の中で亡き夫を思い祈る権利」 という美しく崇高な「信教の自由」を、一審、二審で勝ちとった。最高裁弁論に 於いて、最後に中平先生が立たれて、裁判官たちを叱咤された時は、胸が高鳴っ た。
 内申書裁判も七二年開始。七九年一審の「教育の目的が生徒の人格の完成をめ ざし……、公立中学校においても、生徒の思想・信条の自由は最大限に保障され るべき……」との名判決を、中平弁護団長は「歴史に残る金字塔」と評された。
 日曜日訴訟では、まさに日曜日を守る信仰の基本が法廷に載せられた。原告は 可愛い二人の少女と牧師である両親。学校規則やこの世の法よりも、教会の法・ 信仰の自由を貫く裁判は、中平先生自身の闘いでもあったと思う。
 日本聖公会中部教区伝道所の信徒方がホームレスの人々の宿を要求して名古 屋市役所に赴き、不退去罪で逮捕・起訴された「越冬弾圧事件」は、冷酷な行政 権力に対して、信仰上の正義の行動を貫く熱い闘いであり、判決後の今もなお力 強く続いている。
 緑深い池子の森を米軍住宅建設のために破壊する国を提訴した逗子市長と共に 挑んだ裁判は、一方的国家権力に対する地方自治体の闘いであり、現在、さらに ファッショ化甚だしい国に対する、市民・私たちの問題に繋がっている。  これらの人権裁判には、常に優れた弁護士の方々と、多くの学者・市民・キ リスト者の支えがあった。祈りがあった。
 七五年、キリスト者政治連盟が創設され、以来二〇年間、その事務局を先生の 法律事務所に置いていただき、常任委員会や選挙事務所まで持ち込み、感謝は 尽きない。
 今回、キ政連ブックレットとして、先生の本を出版できることは、キ政連の大 きな喜び・誇りである。この「日本国憲法の現状と課題」は、裁判官・弁護士と して体験された事実や事件をもとに、わかり易い言葉で書かれており、ぐんぐん と引き込まれる。いま、絶望的政情の中にあって、だからこそ、希望を持とうと、 元気をいっぱいにいただく本である。
 最後に、多恵子さんの「戦争の思い出」を載せられたことに感謝。この事実を 多くの人々に知ってほしい。いま、国会はかつての戦争の犠牲者を踏み潰し、民 意を無視し、憲法違反のガイドライン関連法案を強行採決して、国民を戦争へと 引きずり落とそうとしている。武力によって平和を守ることはできない。キリス ト者たちは立ち上がり、祈りと讃美歌で国会包囲・集会・請願行動を重ね、運動 を大きく拡げて来た。中平先生の「私には夢がある」を私たちも歌いつつ、平和 を実現して行きたい。
一九九九年五月十七日


著者紹介 ―中平健吉―
 1925年、長野県に生まれる。1946年8月、郷里の教会竜丘(たつおか)伝道館 にて受洗。1949年、東京大学法学部法律学科卒業。1951年から72年まで裁判官と して、岐阜地家裁、最高裁訟廷部付、盛岡地家裁、大阪地裁、大阪高裁、函館地 家裁、東京地裁、東京高裁に勤務。東京地裁時代、家永教科書裁判担当(1970年 判決)。1972年、裁判官を辞し、弁護士となり現在に至る。(アムネスティ・イ ンターナショナル日本支部会員、一時期支部長、現在北朝鮮難民救援基金代表)
(主な裁判)種谷牧師牧会権裁判、日立就職差別裁判、青山学院大学神学科訴訟、 護国神社合祀拒否訴訟、内申書裁判、日曜日訴訟、名古屋笹島日雇労働者越冬裁判、 予防接種事故集団(東京)訴訟、水戸中学体罰裁判、逗子市長の機関委任事務訴訟 (いわゆる池子弾薬庫跡米軍住宅建設阻止裁判)、高森草庵八ケ岳住民訴訟。
(主な著作)「クリスチャン衛生兵 中平久良雄(なかだいらくらお)追悼集」 (編著・自費出版)、「世に遣わされて」(新教出版社)、「看護専門職」 (日本看護教会出版部)、「予防接種事故訴訟から何を学ぶか『現代の裁判』 (新日本評論社)所収」、「死刑制度『現代キリスト教倫理叢書』(日本キリス ト教団出版局)所収」、「ヘロデ・アンティパスから見たイエス『周りの人から 見たイエス』(日本キリスト教団出版局)所収」
土井たか子さんも一緒に早春賦
土井たか子さんも一緒に「早春賦」を歌いました。
中平健吉先生と多恵子夫人
中平健吉先生と、多恵子夫人です。


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