バード・オブ・パラダイス・レディース・クラブ第4回講演会 メモ

パプア・ニューギニア、フォイ族の文化とくらし

講演/槌谷智子(国立音大非常勤講師)


 9月25日、渋谷の東京ウイメンズプラザで行われた講演会の私的メモの一部 です。武蔵野音大のピアノ科からの転身という経歴の先生のお話はとても興味 深く聞きました。
 大使夫人の「先生のお話を通して、パプアニューギニアのことを少しでもよ り深く理解していただければ嬉しい」という挨拶は、私たちが異文化に触れる ときの態度としての原点であると思いました。より深く理解すること、お互い の存在を容認すること、このことこそが、すべての人が望んで止まない平安を もたらすのだと思います。

《PNGとの出会い》
 意識的にパプア・ニューギニア(以下PNG)を調査地として選んだわけで はないんですが、ご縁があって1992年7月に調査に入ることになりました。叔 父が10年以上PNGで仕事をしていたので、よく話しを聞かされ、憧れていた 国ではありました。
 トロブリアンド諸島民族史に出会った時、女性の生活が描かれていて、深い 関心を持ちました。高名な人類学者マリノフスキーでさえも見落としていた視 点でしたので、目を開かれるような思いでした。
 研究の対象としては、近代化のすすんでいないところとして、魅力はありま した。ところが、治安の良くない国というイメージがあり、大先輩の畑中幸子 さんからは猛反対されました。反対されると余計行きたくなり、畑中さんがP NGに入った女性文化人類学者第1号なら、自分は第2号になろうと思いまし た。
 調査対象に選んだフォイ族の居住地は高地周辺と呼ばれる僻地。人口4,800 人程度。調査にはいったのは、低地フォイで、この地域には600人ほど住んで います。気温はそう高くなくて、水浴びをするとちょっと寒いかなと言った程 度。

《マラリアとの闘い》
 まだ、どこに定着できるかも決まっていない段階で、マラリアに罹ってしま いました。大使館からは帰国を奨められましたが、折角ここまできて帰ったの では何にもならないと、がんばりました。幸い石油開発が始まっていて、そこ に医者もいて、命拾いをしました。

《超高い湿度、通じない言葉》
 湿度はものすごく高くて、タッパーに入れて乾燥剤を入れておいたカメラに カビが出るほど。電気も水道もなく、車の通れるような道はなく、言葉は通じ ず、マラリアの後遺症で貧血に悩みながらの生活が始まりました。

《文化の違いを痛感》
 いくつかの条件をクリアした村として、ソロタグ村に落ち着くことになりま した。村人は全員対等な立場ではありますが、長老格の方が後見人になって、 その息子が村でたった一人英語を話せるので、サポートしてくれることになり ました。
 ここでは、「約束」というのはその場の気持ちであって、守られるとは限り ません。「計画」について話すのは大好きですが、それが実践されるという保 障はありません。そういうわけで、家を建ててくれる約束ができて安心して引 っ越してきたら、柱しか建っていません。やむを得ず長老の家にやっかいにな ることになりました。家が建ったのは、何と半年もしてからでした。
 村の家には窓がありません。これは注文して窓をいくつかつけてもらい、明 かり取りと風通しをよくしました。

《フォイ語を覚えて調査開始》
 村人が始めて接する外国人とあって、毎日見物に来られ、どうにも仕事がや りにくいので、とうとうドアを閉めざるをえませんでした。
 調査をするには、まず言葉を覚えなければと、勉強して、家族関係から調査 に入りました。一夫多妻で家族関係が複雑なので、家族の系譜づくりから。一 夫多妻とはいっても、婚資(結納みたいなもの)を用意するのがかなり大変な ので、たいていの人は何人もの妻はいません。女と男の生活の役割が明確に決 められているので、連れ合いが亡くなると生活しにくくなり、再婚する例が多 い。男性の場合、婚資の用意ができなくて何年も一人で生活する羽目になるこ ともしばしばです。

《ガソリン騒動》
 移動手段としてのカヌーを動かすにはガソリンが必要です。やっと手に入れ たところが、村人が、ちょっと貸してと言っては持っていったきり返してくれ ません。なかなか手に入らないので、気の毒でしたけれど、貸さないことにし ました。帰国する日にも、ドラム缶が無くなったりしましたから、彼らにとっ ても魅力的な生活財なんですね。

《仲良くなって取材して》
 話しをしてくれた人にはたばこをプレゼントしたり、砂糖たっぷりのインス タントコーヒーをふるまったり、週末には招いて、さば缶のまぜごはんをご馳 走したりのプレゼント作戦。(奥地探検の常套手段とはいえ、ご飯を炊いてご 馳走というところが、女性っぽくていいですね。)子どもたちがいろいろとよ く手伝ってくれました。

《男の仕事、女の仕事》
 家をつくるのは男の仕事ですが、サゴ椰子の葉で屋根を葺くのは女の仕事。 ブッシュを切り開いての畑作り、カヌー作り、狩猟、もめごと調停、などが男 の仕事。女の仕事は小動物の捕獲、タパ(樹皮布)作り、草刈り、サゴでんぷ ん採り。
 小動物というのは、食用ぐもとか、サゴ虫の幼虫。ねずみも食べるんですが、 毎晩鼠に悩まされて安眠妨害されたのは、ここの小屋では食べられないからっ て、安心してやってきたのかもしれませんね。テープレコーダーとか、なんで もかじるので、油断ができません。

《女と男の関係》
 女の経血にふれると穢れるっていうので、月経の間は月経小屋で過ごすとか、 お産で亡くなる女性が多いとかいう話は、こうしたところではありそうな話し で、切ないですね。
 コミュニティとしては、男はロングハウスという、50mもある家で共同生活。 ロングハウスのまわりに小さな女小屋がいくつもあって、母と子どもはここで 生活。時折ブッシュハウスという別荘みたいなところへ行くときが家族単位。 性生活もここでしか行なわれないようになっています。女とあまり回数ふれる と活力を取られるという考えがあり、性生活は制限されてて、お産の後も子ど もの歯が生えるまで禁止。幼児死亡率も高く、子どもの数はそう多くありませ ん。(一夫多妻もそうしたところからくる合理性かもしれませんね。)
 
《まつりをテレビ取材》
 シンシンの祭りをテレ朝が取材にやってきました。村中総出で豚をとる仕掛 け作り。近隣の村からやってくる人たちにご馳走します。村の人たちは取材の 見返りとしてお金を要求。テレビ側は政府にお金を払って取材許可をとってい るので、二重に払えないということで、一悶着。お米とサバ缶を踊り手と太鼓 の方にプレゼントすることで決着しました。
 19頭もの豚はみんなに分けてたちまち無くなってしまいました。これは、そ れぞれ村へおみやげとして持ち帰って、年に一度あるかないかのご馳走になり ます。
 肉類はほとんどなくて、タンパク質が不足気味。貴重な蛋白源のサゴ虫の幼 虫はトロッとしていてなかなかいけますが、毎晩屋根から糞を降らせます。コ ーヒーの中に落ちたらわからなくなってしまうので、必ず蓋をしておくように 気を付けての毎日でした。

《コミュニティ・スクール》
 調査に入るちょっと前に学校が設立されましたが、周辺の村からは山を越え てやってくるような環境で、泊まり込んでの勉強には嫌になって帰ってしまう 子どもがいたりで、まだまだ大変な状況でした。

《石油開発とお金》
 フォイ族の土地は氏族毎に所有する形になっています。石油の開発が始まっ ていて、埋蔵地の氏族はまとまったお金を手に入れたようですが、カヌーにつ ける高価なモーターなどに使ってしまって、お金に余裕のある人はほとんどい ません。換金作物を作ろうとしてはいますが、まだ、成功したという話しは聞 いていません。
 貨幣経済もジワジワやってきていますので、世界環境保護基金を通して石油 会社が現地にお金が落ちるようにしているようですが、石油開発が始まってか ら、婚資も値上がりして困るで、2,000ギナという申し合わせになりました。

《いよいよ帰国》
 2年間の調査が終わってみると、荷物も相当増えています。敢えて持ち帰らな くてもいいものは、ささやかなお礼として村の人たちに分けることにしました。 過不足があると争いになりますので、苦心して分けました。
 現地の人は、私を男とか女とかを超越した存在として、あるいは、自分たち の文化には属さない人として遇してくれました。女の入れないロングハウスに 入れてくれましたし、月経小屋には入らなくても苦情は出ませんでした。お話 することが大好きで、調査にはよく協力してくれました。



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