日常雑記
2002年4月


4月24日(月)
 「アジアのお祭り2002」へお誘いを受け行ってみました。アジア婦人友好会 主催のチャリティ・バザール。どんな会かよく飲み込めないまま出かけたので、 財布の中身も寂しく、たいした物も買えなかったんですが、バザーの主役はな んと言っても食べものですから、せっせと食べ歩きと相成りました。とは言っ ても、そうそう沢山食べることもできません。何とか6か国のお料理を味わう ことができました。
 THAILAND  シーフードライス(炊き込みごはん)
 BRUNEI   ブロット・セルデゥン(エビ粉おはぎ)
   PAKISTAN  サモサ(三角カレー餃子)
 VIET NAM  蓮の汁(蓮の実・ココナッツ・タピオカ入り砂糖水)
 PHILIPINES フルーツ入りココナッツ餅(果物汁粉)
 MONGOLIA  モンゴル風餃子
  持ち帰りでINDIA インスタントラーメンセット。

4月23日(火)
 夫婦別姓選択制が大詰めを迎え、集会案内のメールを受信。きょうは与党の 「女性政策提言協議会」。残念ながら予定が重なり参加できず。でも、急ぎコ ピーを市内の関心有りそうな方へお届け。お届け先は…と漁ってみると、一人 二人ではないことに改めて感心。
 反対派集会が結構な勢いだったとかで、賛成派もボヤボヤできない状況。

4月22日(月)
 キ政連常任委員会を2回連続欠席したので、きょうは風邪を押して出席して みたら、なんとみんな風邪ひき。しかも私が一番若いんですから、もう、みな さんのパワーには圧倒されてしまいます。
 きょうのトピックスは平壌で開かれる「日本の過去の清算を求めるアジア地 域シンポジウム」に二人参加が決まったこと。1994年に「朝鮮基督教徒聯盟」 の牧師たちが来日して土井たか子衆議院議長(当時)とお会いしたとき、私も 同席。その後は通信不可で、こちらからの通信は一方通行。今回お会い出来れ ば、何か具体的な成果につながるかしら。私が行くわけじゃないんですが、ワ クワク。
 帰宅して、深夜、何気なくつけていたテレビで「しゃべり場」の再放映があ り、若者たちは「戦争のことでいつまで謝り続けなければいけないのか」って 言ってました。出席していた在日の子が「謝るのはあたりまえ」と言ったのに 対して、サポートしていたおとなが「過去をいつまでもひきずるのはそろそろ やめにして、前向きに新しい時代を作っていこう」みたいな発言をしていて、 オヤオヤ。やはり、ここでドイツのワイツゼッカーの有名な演説「過去に目を 閉ざす者は現在にも盲目」を引用するなり、日本政府が公式に謝罪をしないこ とが、いつまでも非難される根本の原因だということを告げるべきだと思うん ですけどね。

4月21日(日)
 ポリトライブの総会に新任課長が挨拶に。20代から70代の男女、市内外の愛 好家という構成と、職員の熱意が合わさって織りなすユニークなポリトライブ の活動をみんなで口々にアピール。今年度もどんな展開になるかワクワク。
 ユニークさではひけをとらないはちの巣保育園の「小野たくまさチャリティ 版画展」にも足を運びました。小野さんは間もなくイギリスに移住するという ことで、今回が最後になるかも知れないとのことでした。お金ないなぁと思い ながら、環境にやさしい水性絵の具を使ってのシルクスクリーンとかいうアピ ールに惹かれて、私の星座の水瓶座が描かれたものを1点購入してしまいまし た。資料に埋もれた私の部屋にも、一応転居祝いにいただいた椿の絵が掛かっ ています。さて、どこに収まるか、それが問題。

4月20日(土)
「日本・ベトナム福祉と平和のサポートステーション」発足集会に参加のた め、笠幡の川越身体障害者センターへ。
 戦争する人あれば、戦争で障害負う人あり。そして助ける人あり。

4月19日(金)
 高齢者の体操クラブ、ムリして故障起こしてもいけないし、恐るおそる始め たんですが、結構ハッキリ意見も出るし、要望に添ってプログラムを毎回組み 直したりして、少しずつサマになってきました。替え歌もゲームに活用するな どして、より身近な歌として暗記していくことにしました。暗記、いいですよ ぉ。頭の体操にもなるしね。

4月18日(木)
 麻生太郎が「家庭の教育力が落ちているなら、幼稚園を義務教育にすればい い」と発言した旨1チャンネルで報道。
   経済的理由で3人目を幼稚園に入れられないって言ってる人いるんです。義 務教育で無料になれば喜ぶかも。でも、「家庭で教育できないなら義務教育に して教育すればいい」っていう考えはどうかしら? 子どもが子どもとして生 きられる環境が失われてきている結果としての子どもの成育の危機という観点 に立てば、「それは良い考えだ」などと単純には言えませんね。
   家庭の教育力が落ちているのはそもそも受験競争を放置してきた文科省にも 責任があるのに、幼稚園の義務教育化で子どもが有るべき姿で成長するなんて 考えるのはナンセンスじゃないでしょうかねぇ。  
4月17日(水)
   有楽町線と東西線をつなぐ地下通路にある古本屋さんに立ち寄り。古書より ゾッキ本が多い感じ。たいていは、フンフンと眺めるだけなんですが、きょう は4冊も一遍に買ってしまいました。もう本の置き場がないので、これからは 図書館だけにするんだと誓って2年余、ジリジリと本は増え続けてます。窓枠 まで本で埋まってる今、さあて収め所はどこにしようかな。
 とにかくきょうの掘り出し物は「環境倫理」でした。上智大学の教授が中心 になってまとめた教科書のようです。下落合教会の前牧師が20数年前に個人の 倫理から社会倫理を経て環境倫理を考える時代になっていると発言しているこ とに注目してたところへ、クリスチャンのエコネットとご縁ができて、ますま す気になっていた課題でした。
 上智といえば、雨水利用や太陽光を配慮した花壇の配置など、環境に配慮し た図書館のことが思い出されます。小さな歩みが歴史を作っていくなぁって思 いますねぇ。

4月14日(日)
 下落合教会50周年記念礼拝。出席者は通常の3倍くらいかな。礼拝後の祝会 には更に多くの方々が加わり、転会した方々、教会から離れていた方々ともお 会いでき、久々に聞く丸尾前牧師のお話に、思わず厳粛な気持ちに。先生は『 50年は一人ひとりの思いと行動の集積であり、毎週毎週の礼拝の積み重ねであ り、「世にある教会」としての課題を背負いつつも、世相に流されずに真理を 追い求めてきた教会である』と総括されました。そして今でも『あの福音は何 を語っているのか、日々新たに考えることが許されていることに感謝する』と、 結ばれました。先生は御年75歳。
 記念誌「50年の歩み」は、過去の発行物からの転載と書き下ろしと年表で構 成。何をどう考え、どう歩んできたのかがわかるユニークな年史になってます。 一般史の部分には、「ビール107円」とか、「神武景気」なんていうことまで 記述。私もささやかにお手伝いできたのが嬉しい。

4月13日(土)
   鶴ヶ島にも鈴木宗男がいるんだっていう話しが伝わってきました。ご近所に 「諸悪の根元だ」なんて名指しのビラを撒かれたとか。地方議会といえども、 議会というところはあくまでも言論の府です。議会での言論を通して行政のあ り方を理想に向かわせるという役割があります。それを、議会の外で自分に関 わる利益の為だけに発言しようとすると、圧力議員ということになってしまう んですねぇ。そういう議員が実力者だと見る向きもまだまだあるのが情けない です。

4月12日(金)
   体操サークルに92歳の女性がいるんです。大抵は椅子に座って体操をしてい るんですが、ウォーキングステッキキャスターっていう長ーい名前を持った押 し車を押しながら会場までやってきます。公民館の唱歌のサークルにも通って るんですって。そのサークルでケアホームのコーラスボランティアに行ってる っていうんですから、もう、驚き! 私の母は87歳で亡くなったんですが、そ の数か月前まで、教会の聖歌隊に参加していて、感心していたんですが、上に は上があるものですねぇ。
 ちなみに体操サークルの方がどこかで教わってきた「お座敷小唄」の替え歌 の一節…♪年をとってもしらがでも シワが増えてもまだ若い 人の為にと生きる人 いついつまでもボケません。

4月11日(木)
  通学班に置いてかれちゃったのぉってご相談2件。時間より早く集合場所に 行ったのにって、子どもが不憫で不憫で、ママさん、声が震えてました。班長 の親御さんに言うべきか、班長にいうべきか、いきなり学校へ言うのもはばか られるし、誰に言っても、子どもが居づらくなる恐れはあるし…って。ストレ ートに正せない時代なのかなぁって、侘びしい気持ち。
 ウチの孫もね、置いてはいかれなかったんですけど、時間通りに行ったのに みんなこなくて、ずっと待ってたかと思うと、まだ集合時間じゃないのに呼び にこられたりしたことあるんですよ。
 それより、だいぶん前に聞いた話しですけど、集合した子どもたちが、あっ ちむいてホイ状態で、まったくコミュニケーションがないことを憂えている声 を聞きました。今も大差ないようです。そのことが今回のような「置いてきぼ り」を引き起こしてると思うんですけどねぇ。

4月10日(水)
 詩人の安藤次男さんの死亡記事を見ました。昔、音楽雑誌の取材でお会いし たことがあります。詩の世界のことなど全く知らなかったにもかかわらず、丁 寧に対応していただいて感謝でした。その時聞いた言葉が今も忘れられません。 「詩というものは日常を断ち切って振り返らせるものだ」

4月9日(火)
 1チャンネルで遠距離介護を扱ってました。家族がプロ級で親類総動員して のローテーションで動いている例、親が元気な頃から兄弟姉妹でイザというと きのために相談してきた例など、感心しました。私なんか、きっと100歳まで元 気だよねって娘たちに揶揄されてるんですが、いつ何があるかわからないとい う点では、例外ではあり得ません。少しは考えなくてはね。
 去年の国際福祉機器展では、「遠隔地介護システム」が目を引きました。業 者がコンピュ−タによるネットワークで全国をカバーしていて、リアルタイム で高齢者の情報を家族に伝えるのです。テレビでも、ヘルパーが家族に日々の 様子をFAXしている場面がありました。
便利な時代になったとはいえ、コンピュータが介護してくれるわけではない ことだけは確かです。

4月8日(月)
 新学期が始まって、年中さんになったたあちゃんのはしゃぎようは格別です。 1か月ほど前から、とみに何でも大人の手を借りずにやりたがっていたのが、 いよいよ筋金入りになって、帰ってくるとすぐにハンガーに制服を掛けて「ホ ラ自分でかけたよ」と自慢です。「ねぇ、ねぇ、これみて。なんてかいてある とおもう?」と、色が赤に変わった名札も見せます。「おべんとう、まだかな、 おべんとう、まだかな」と、買って貰ったピカチュウの箸入れを使いたくて、 台所の食器棚の前をウロウロウロウロ。
いつもいつも一歩お兄ちゃんに近づく楽しみ、明日のお楽しみに向かってワ クワクしているたあちゃん。昨日はこの子とキャッキャと騒ぐ子どもたちのム レの側に、闇から出てきて間もない女性がいました。心ある方がフェスティバ ルに連れ出したんですが、暗い顔、唐突な行動、トンチンカンな話題…。十数 年引きこもっていたのです。
 外国に目をやれば、テロや内戦の現場では、強い刺激と恐怖から幼児が正常 さを失っているとテレビ報道。明るく希望に満ちた日々を送るはずの人生が、 外的な力で狂っていくなんて、許せませんよ。少なくとも、戦争などして、希 望に満ちた日々を葬ってはいけませんよね。
 政府は“有事法制”で国民を守る積もりのようですけど、犠牲者が増えるの が関の山。みんなもっと怒ろうよ。

4月7日(日)
 五味ヶ谷の喫茶「栗の樹」前の駐車場・林を利用しての「もっくんフェステ ィバル」にママと友だちが参加。幼稚園の入園式があるので、始めは私が店番。 なつかしい方々にも出会い、カントリー木工品・カントリードールもまずまず の売れ行きで、子どもたちも走り回って大喜び。ログハウスでのオモチャ展示 と遊びも大賑わいで、木製・布製のオモチャで豊かな情緒を育んでほしいとの 願いを込めたフェスティバルはささやかながら、記念すべき第一歩を踏み出し ました。

4月6日(土)
 久々に「このまちで安心して老いる会」に出席。情報交換いろいろ。坂戸の 千代田公民館で行ってきた「男の料理教室」はバッタリ反応がなくなったので、 今年度は見送り。食べものこそ健康を守る砦、と会の人たちは思っているんで すが、他の公民館でも似たようなサークルが生まれていることや、便利な弁当 屋も増えていて中食(なかしょく)などという言葉も聞けるこの頃、必ずしも 自分で料理する必要がないのでは、という話しになりました。わたし的にはど んな添加物が入っているかわからないし、消毒薬を噴霧してるって話しも聞い ているし、それに自分の好きな味っていうものへのこだわりもあるし、やっぱ り自分で作りたいわね。
 鶴ヶ島の場合、一人暮らしや高齢者だけの世帯には配食サービスがあります。 生活保護世帯と所得税非課税世帯は1食200円、課税世帯は400円となっていま す。でもね、週3回なんですよ。1日1食でガマンしている高齢者の話も聞い てるんですけどねぇ。
 行政は一応の施策はやってくれるんですが、何かきめ細かさに欠けるんです よね。送迎の話しも出ました。健康福祉センター行きのバスが廃止になったこ と、循環バスは間隔が空いていて利用しにくいこと、福祉車輌は団体で予約で きないこと、等々。鶴ヶ島でも、循環バス誕生で老人福祉センター行きのバス は廃止されました。車椅子の方も利用しやすいようにと折角つけた循環バスの リフトはうまく作動しないこと、しばしば。行政はバス会社に改善するよう指 導したっていうんですがね。
 首長は口を開けば「福祉の時代」っていうんですけど、現場がもっともっと きめ細かな仕事をするようにならないとね。

4月5日(金)
 ニュース23での梅原猛発言。『ブッシュのはキリスト教の一神教とは違う。 近代文明を讃美する一神教だ。ヒトラーのナチスに近い。中身は金の神様に全 世界を武力によって従属させようとする。それが彼らの言うグローバリズム。
 一神教は砂漠で生まれた。多神教は森の宗教だ。森の宗教に帰らないと、人 類の平和的共存はあり得ない。技術文明と多神教を調和させなければならない。
 本来道徳教育の背後に宗教教育がなければならないのに、明治になって排仏 毀釈で仏教とともに一神教をも捨ててしまった。』
 今、超教派のキリスト教団体と日本山妙法寺、法華仏教国際交流センター、 アユース仏教国際協力ネットワーク、等が折りに触れ小泉首相やブッシュ大統 領宛に意見書等を出したり、デモに出かけたり、平和や環境問題について行動 しているんですが、案外知られてないようですね。勿論キリスト教が唯一最高 の宗教だなんて考え方はしていません。ブッシュを支持するキリスト教保守派 へのメッセージについても頭を悩ませているところです。

4月4日(木)
 すごい嵐! 帽子は飛ぶし、目に砂は入るし、自転車は動かないし。自転車 を引っ張って歩いて、やっと帰ってきました。
 家に帰り着いたら、孫が砂場で穴を掘っていました。ドロボウのための落し 穴ですって。ママは「そんなところからドロボウは入ってこないわよ」とあき れ顔。そういうママも小学生の頃、庭に穴堀りして私を大いに困らせたんです から、大笑いです。物干し竿の真下に掘ったものですから、洗濯物を干す度に 要注意。それが、夏休みに牧師先生の別荘に遊びに行って大穴掘って、横穴ま で掘ったらケロリとして、家で穴堀りをしなくなりました。
. どろんこ遊びは精神開放・創造性への刺激など、子どもの成長に欠 かせない 遊びだって言われてますよね。娘たちの場合、大穴堀って、遊びきったという ところでしょうか。実は、穴堀りだけではなくて、林の中の木をふんだんに使 って、椅子など作ったりもしたんです。今、カントリー木工にはまっているマ マの原点になった遊びだったのかな、なんて思ってます。

4月3日(水)
 高齢者と体操などしてるって言ったら、元ホームヘルパーの知人から、テキ ストが沢山送られてきました。腰を痛めて仕事は辞めてしまったので、ご自分 が勉強したときのテキストをくださったのです。
仕事であれ、ボランティアであれ、高齢者の方々の生活をサポートするって いうことは、一工夫も二工夫も必要ですよね。「やがて行く道」ですから、自 分だったらどうしたいかって考えながら毎回のプログラムを組んでます。

4月2日(火)
 高齢の女性と話してたんです。子ども時代の話しになってね、「ガキ大将が いたのよ」っていうんです。“葬儀めぐり”とか、“結婚式めぐり”とか、“建 前めぐり”とか、ガキ大将が指図するんですって。「きょうは3か所だぞ」と か「こっちが終わったらあっち」って…。おまけに「きょうは建前だから麦わ ら帽持ってこいよ」なんてきめ細かな指示まで。屋根の上から投げられるお餅 やお菓子を受けるんですよ麦わら帽子で。当時は個人の家でやりますから、町 内のそういう情報をちゃんと仕込んでくるんですね。中には赤ん坊背負って来 る子もいて、あっちへ走りこっちへ走り「一日中飽きることなく遊んだ」んで すって。 

4月1日(月)
 孫がね、「ちゃんと飲まないともったいないでしょ」って言って、弟に飲み残した牛乳を飲ませていたんですよ。なんだか感激してしまいました。別にどんなことをしたらもったいないのかなんて話しをした覚えはないんですが、日頃の大人の会話をちゃんと聞いているんですねぇ。
   今、学校も家庭も地域も教育力が落ちたっていわれてます。かつては責任のなすりあいが結構あったんですが、最近では、それぞれ落ちた教育力をどう回復するかという議論に少し進んできてます。
   やっぱり日頃の言動です。それしかありません。ある施設の子どもたちは大変躾がよくて、自立した生活ができているように見えるんですが、いちいちおとなに指示を仰ぐんですよ。日頃の生活に自由がどのくらいあるのかしらって考えてしまう瞬間です。図書館の利用も制限してるらしいんですね。これについては理由がちょっと不明なんですが…。
 また、不登校をやっと克服して学校へ通い始めた子がいるんですが、おとなに心配させまいとする言動が目立ちます。なにか“子どもらしさ”に欠けるというか、天真爛漫さがないんですね。よほど痛めつけられてきたのかしらっていじらしくなってしまいます。
   子どもが子どもらしくいられること、簡単そうで、できない時代なんだって、 思わずにはいられません。国連の子どもの権利委員会では、日本の子どもが過 度の競争にさらされてることを改善するようにと勧告しています。このことだ って、子どもが子どもらしく生きられない大きな原因になっていると思うんで すよ。
 “子どもらしさ”について、大人はもっと真剣に考えた方がいいかも。 


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